plusnineのブログ

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波瀾万丈の人生〜サッカー選手 岡野雅行〜



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自分はサッカーが好きで。




10代の頃からチームに入ってずっとやっていました。そんな、自分が昔から好きな選手がいます。






「野人」の愛称で知られる、岡野雅行。

Jリーグの浦和レッズやヴィッセル神戸などでプレーした、元日本代表のFWです。





現在は鳥取に本拠地を置くクラブチーム、ガイナーレ鳥取で代表取締役GMを務めています。








サッカーが好きな人であれば岡野の名前は聞いた事があると思います。日本が初めて出場権を獲得した、フランスワールドカップでの最終予選。マレーシアのジョホールバルでの決勝Vゴールを決め、長髪をなびかせながら興奮してピッチを走り回っていたシーンは見覚えあるかと。




決勝Vゴールを決めてピッチを走る岡野






岡野のイメージは...




恐らく皆が思う事ですが

「足が異常に速い、だけど下手でシュートも外す」

という印象だと思います。




実際ジョホールバルでのゴールの際も、中田英寿がゴール前までドリブルで持ち込み、横にフリーで岡野がいたのに無視して自分でシュート。それをキーパーがはじいた所に、岡野が飛び込んで決めたものでした。







自分は一芸に秀でていて、それに全てをかけて勝負する選手が好きです。




足も遅く、ドリブルもそこまで上手くないながら、正確無比な左脚のキックだけでスペイン代表まで上り詰めたデ・ペドロ。




体格に恵まれたわけでも足が人より速いわけでも無い。ただゴールへの嗅覚だけを頼りに、長年セリエAのトップチームでゴールを量産し続けたF・インザーキ。




賛否両論あるとは思いますが、岡野もこれに近いスタイルではあるかと。当時のサッカーゲームなどでも岡野はスピードは速いもののシュートの能力値が低く設定されていて、使いにくいプレーヤーだったと記憶しています笑






そんな岡野ですが、プロサッカー選手になる前。またサッカー選手としての歩みもホントに波瀾万丈な経験をしています。特に高校時代の話はドラマ化されたほど奇跡的な話です。





まあ、とりあえずは知らない方のためにまとめて書いてみたいと思います。






幼少期〜高校入学の経緯






岡野は横浜市出身で、元々は女の子に混じってテニスをやっていたようです。ただ、女の子ばかりと遊ぶ岡野の事を親は心配し、サッカークラブに入るように勧めます。いやいやながらもサッカーを始めた岡野少年。ただ、元々足が速かった彼はどんどん才能を発揮して横浜選抜に選ばれるほどになります。




しかし中学生になると、成長期が遅く、背が小さかった岡野はサッカープレーヤーとしては目立たなくなっていきます。当時の三浦カズに影響されてブラジル留学も考えますが、親の反対にあって断念。勉強も出来なかった岡野には高校の選択肢があまり無く困っていると、叔父がある話を持ってきます。




たまたま仕事絡みで知った島根の高校がかなり良かった、と。全寮制だけど規律正しく、立派な生徒達だったと。特に島根は高校数が少ないから、全国に出るチャンスもあるんじゃないか?と提案されます。






神奈川では選べる高校もほとんどなかった岡野は、島根県の松江日本大学高校への進学を決意します。







ここから岡野の奇跡の物語が始まります。








とんでもない高校






入学式に出席した岡野の目に飛び込んできたのは、衝撃的な光景でした。






学生達のほとんどが、暴走族がよく着用している特攻服で入学式に参加していたのです。





あとでわかった話ですが。どうやら当時のその高校、全国の選りすぐりのヤンキー達が集まっていたようです。ようするに普通に勉強が出来ない不良達が集められ、そして全寮制の生活を通して更生させていくという目的の高校だったのです。叔父が見たのは更生させられた後の生徒達を見ていたので、良い学校と感じていただけでした。






しかも...よくよく聞いてみると、なんとサッカー部もないという。






勉強は確かに出来なかったものの、特に不良なわけでもない岡野。さすがに意味がないと感じ、理事長の元に退学の意思を伝えに行ったそうです。





「自分は元々サッカーをやりたくてきたのにこれでは...」と。






しかし理事長は意外な言葉を発します。






「サッカー部ありますよ?」




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サッカー部?






よくよく聞いてみると体育館の裏で活動している、という。そんなの見たことないと思いながら体育館の裏に向かうとそこには...。







一人だけユニフォームを着て壁にボールを蹴っている人がいたのです。







驚いた岡野は思わず声を掛ける。




「サッカー部...の方ですか?」





ユニフォームを着ていた先輩は頷く。







「良かった!サッカー部あったんですね!部員は何人ぐらいいるんですか?」






その質問に対して先輩は



「あー。俺一人なんだよ」





よくよく聞いてみると。その先輩も同じくサッカー部に入りたくて来たものの、学校に入ったらサッカー部が無い。なので仕方なく一人でサッカー部、というテイで一年間壁を相手にボールを蹴っていたという。





複雑な感情になりながらも、とりあえずはサッカーをやりたい人がいたということに安心した岡野。先輩と二人で話し合い、とりあえずは部員を集めることが何より先決ですね、ということに。





意外にも募集を掛けたらあっというまに人数は集まった。しかし...。中には昔サッカーやってたことあるよ、という人もいたものの、ほとんどはサッカー未経験者たち。しかも全国から集められたエリートヤンキー達。人なら蹴ったことはあるけどボールを蹴ったことは無い、と。




本格的なサッカー経験者だった岡野自身が一年生ながらキャプテンになり、練習メニューから全てを考えます。当然ど素人のようなヤンキー部員たちは最初は酷いものだったようです。ただヤンキー部員たちは意外にもサッカーは楽しいようで、皆積極的に練習に参加してくれました。





ある程度技術が備わったところで、せっかくなら一度試合をしてみたい、ということになりました。さっそく様々な高校に顧問の先生を通して連絡をしてみます。しかし...岡野の高校はヤンキー高校として有名。先輩達は更生したように見えても、中身は元々不良としてあつまった生徒達。当然ほとんどの高校で断られてしまいました。







それでもようやく、練習試合を受け入れてくれた高校が見つかりました。そこでこちらから遠征に伺うことになり、部員全員で相手高に向かうと...。







岡野本人の言葉では「まさに映画クローズの鈴蘭高校みたいな学校でした。壁にはスプレー缶で落書きされ、窓という窓はほとんど割れていて、ド派手な頭をした不良達が校舎の中からこちらを見ていました。」






しかもグラウンドに向かうと...

制服をきた不良達がボールを蹴って遊んでいる。対戦相手のサッカー部はどこにいるんだろうと不安になりながらアップします。






時間になりグラウンドに整列すると、向かいには...先程遊んでいた不良たちが目の前に並びました。不安が的中して絶望する岡野。ふと横を見るとチームメイトの先輩達は、ニヤニヤしながら目を輝かせている。






ホイッスルが鳴り試合開始。






試合開始と同時に、全力で対戦相手に飛びかかる先輩たち。それを見た校舎に残っていた相手高の不良達も「なんじゃコラぁ!!」の怒号と共にグラウンドに飛び出してきます。グラウンドにて大乱闘が始まり、そこかしこで怒声と殴り合う音が響きます。






人数的には圧倒的に不利なはずが...さすがは全国からの選りすぐりのヤンキーをあつめた松江日本大学高校。喧嘩はメチャクチャ強い。勝ったぞー!!の掛け声で岡野は我に返りあたりを見回すと...グラウンドでバタバタ倒れていたのは相手高の不良たち。その周りで喜びはしゃぐ先輩たち。グラウンドで全く動いてなかったのは、岡野とその足元にあったサッカーボールだけでした。






母校に帰り部室。先輩達の前で岡野は号泣したそうです。

「こんなんじゃないですサッカーは。もうサッカー部も学校も僕はやめます!」

そう言って岡野は部室を飛び出します。






その翌日。







岡野は先輩たちに呼び出されます。

その時岡野が思ったのは

「ヤバい...シメられる...。」

お前がサッカー部つくるって言うから入ってやったのにどういうことだよ、と。






部室に入るとそこには先輩達が並んでいました。

すると先輩達は...




「申し訳なかった!!もう二度とあんなことはしないから、もう一度サッカーを教えてくれないか!」





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強豪高への道






先輩達と和解し再び練習に明け暮れる毎日。先輩達は元々ヤンキー根性があったからなのか、どんなキツイ練習でも絶対に皆投げ出すことなく最後までやり遂げたそうです。全寮制で他にやることもなく全てをサッカーに集中した部員たちは急速に技術が身についていきます。






例の乱闘試合の次。最初からちゃんとサッカーを出来た試合のスコアは0-22。次が0-15。もちろん高校生とはいえサッカー経験者で部活をやっていた人とは大きな差がありました。






それでも。プレー中に激しく身体が接触し、イライラする場面になっても先輩達は必死に我慢し気持ちを押し殺していたそうです。そんな部員たちは徐々にサッカープレーヤーとして進歩していきます。





練習試合の結果

0-10

次の試合が

0-8

次の試合が

0-5

次の試合が

0-2


そして

0-0


点は取れませんでしたが、初めて負けなかった試合。ただの練習試合でしたが皆で号泣したそうです。




岡野本人曰く

「とにかくみんな上手くなるスピードが早かった。根性があるからどんな事言っても断らないし、どんな辛い練習でも絶対にやり遂げる。皆が毎晩22時ぐらいまでボールを蹴ってて」

と。




その結果。






春には人しか蹴った事がない、と言っていた即席不良サッカー部は一年目の最後の新人戦。県大会のベスト4にまで食い込んだそうです。







本人も言ってますが、ホントにマンガみたいな話だよね、と。





その事が学校から評価されて次の年からはサッカー部に専属の監督が付き、部員が専用の寮が与えられるようになりました。






その後の松江日本大学高校ですが...

今は立正大学淞南高等学校と名前が変わりましたが


サッカーの強豪校になり、高校サッカー選手権大会の常連校になっています。高校のWikipediaを見ると...


特にサッカー・野球部・マーチングバンド部・射撃部が盛んで、1988年に当時1年生の岡野雅行が旧松江日本大学高等学校時代にサッカー部を立ち上げ、キャプテン兼監督を務めて以来頭角を現したサッカー部は1996年の第75回全国高等学校サッカー選手権大会に初出場し、以後は全国高等学校サッカー選手権大会の常連校でもある。


と、あります。





今ではサッカーだけではなく複数のプロ選手を排出するスポーツ強豪校になっています。








こうドラマ仕立てで書いてみると、客観的に見て面白い話なのですが。岡野本人はとにかく我慢で耐え忍んだ時期だったと振り返っています。一年生の時はホントに毎日泣いていた、と。







ただこの時の経験がこの後のサッカー人生全てに役立っているとも言っています。このあとも岡野は様々なエピソードがあるのでまた続きを書きたいと思います。




ではまた。








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